雑誌「ビックリハウス」での昭和57年〜58年(1982年〜1983年)の

「ヌルハチ」の作品を掲載し、その足跡をしのびたいと思います。

 

 

 

僕は、日立のマークは亀をデザインしたものだと思っていた。

(おもこ)

 

 

ヤクザが“シャブを打つ”というのは、“シャブ”という鳥をピストルで撃ち落とすことだと思っていた。そしてさらに、ヤクザがその鳥の肉でシャブシャブをしている姿まで 想像していた。

(おもこ)

 

“胸焼け”になると胸毛がちぢれてしまうのだと思っていた。

(おもこ)

玉ネギが腐るとラッキョウになり、さらに悪くなると ニンニクになると思っていた。

(おもこ)

 

見飽きて、もう捨てようと思っているエロ本逆さまにして見ると、 新しい発見がありまだ使えるとファイトが湧いてきます。

(ヘンよい・ビンボー編 〜常連並ぶ〜)

 

 

大げさなものとは何か。それは、共通一次の数学Vの5「ジャンケン を3人でして、負けたものから順に抜けてゆき、最後に残ったひとり を優勝者とする」です。そんなことで優勝して喜んでいる者は、 アホそのものです。

(ヘンよい・ノンジャンル編)

 

 

「スケベなもの」「キモチイイもの」を書いて出したハガキが、 宛名の不備で家に戻ってきた時は、親にあわせる顔が ありませんでした。

(へんよい・ノンジャンル編)

 

 

授業中、隣のやつと同時にセキをしたり、鼻水をすすったりすると、 何だか気まずい雰囲気になります。だから僕は そのあとで必ずひとつよけいにやることにしています。

(ヘンよい・ノンジャンル編)

 

 

僕だって痛いんだよ。

(愛と怒りのメッセージ)

 

 

読み終わって、まだまだ楽しいBH

どうも。皆さまはどのようにBHをお楽しみですか。私なんか単純で感動しやすいもんで、気に入った箇所にアンダーラインを引いて一日中眺めていたり、ワンフレーズをレタリングしたのをパネル張りして飾っています。

今までで一番感動したのは、頁の欄外に載っている(上が愛、下が怒り)『愛のメッセージ』で「僕だって痛いんだよ ヌルハチ(長野県)」という作品(?)。これに半紙を貼り合わせて掛軸を作って、床の間につるしてあります……。

(ビックリハウス1982/6 メディアジャパン)

 

 

「あのハウサーは、今」

ヌルハチ:風邪で寝込んでいたため、コメント取れず。

(ビックリハウス1983/5 通巻100号記念特別編集号より)

 

 

高橋章子「いやー、でも実に楽しい10年間でしたーなんて、唐突にまとめに入ったりして。」(笑)

糸井重里「いや、苦しいこともあったけど、それも含めて、いい思い出ね。」

浅田 彰「失ったものは何もない。」 高橋章子「そうなんですよね。」

橋本 治「メーテル阿蘇湖とか森脇広平とかヌルハチとかいう読者、要するに彼らは一般 的な子じゃない。一番一般的な子だけどさ、そういう子ってマスコミには絶対拾われることのない子じゃ ない。それが分かっているから積極的に口をきくってことを絶対にしない子が、唯一、積極的に投稿してくれる雑誌だったんだよね。そのことがビックリハウスで一番大きいんじゃない?僕はやっぱりそういう人間が好きだしね。」

高橋章子「やってる側もそう思っておりますけど。」

萩原朔美「まあ、今後はこういう雑誌はないだろうね。」

高橋章子「わたしもそう思う。」

(1985/11さよなら、ビックリハウス130号 最終号より)

 

 

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