東松照明 Tomatsu Shomei
The 20th Century Matrix より

 

■東松照明■

日本という時空が,濃密な廃園のように,今,眼の前にひろがっている. 原子爆弾の投下の時を指し示し,時間が錆びついているような匂いを放つ 壊れた時計から,廃油と廃物にまみれ不思議な地図を描く《われらをめぐ る海》まで,風雨のため腐蝕し,廃墟の精のようなおびただしい湿気をた ちこもらせる水害の村から,ネジやクギといった鉄の死骸が星屑のように 散乱し,宇宙的不安をふるわせてくる黒いアスファルトまで,鉄骨が折れ 曲がり,朽ち木に這った草木が様々な花を咲かせ,トタンの塀に穿たれた 弾痕に無数の散光をもらす旧陸軍造兵廠から屋根には,苔が生え,壁はボ ロボロになり,糞と灰が積もった土間にはひからびたネズミの死骸や割れ た湯飲みの散らばる荒れ果てた日本家屋まで,東松照明が40年近くにもわ たって撮り続けてきた,これらの写 真は,まさに廃園としての日本を,あ る種の強度の持続のなかで伝えてくる. 誤解を恐れずに言えば,東松照明の廃墟は美しい. 爆風により崩壊した浦上天守堂も,痕跡となった光と影が同居する豊川の 海軍工廠跡も,瓦礫のまわりに花のような光のもやのできる広島産業会館 跡も,雨や風や釘でズタズタになった5センチ角の沖縄のパスポート写 真 も,複雑に折れ重なり焼け爛れた表皮をさらす古タイヤ置き場も,多摩芸 術学園闘争の静謐な残骸も,変色しペンキの剥げ落ちた足尾銅山廃鉱の古 地図も……,東松照明の眼が向けられた廃墟はすべてが息をのむように美 しい.深く青黒い宇宙に浮かぶ四角い色ガラスを見つめているような臨場 感がある.廃墟には写 真にとって最高の題材なのではないかと思わされて しまうほどだ. 「それが写 真のスタイルです.何を見るか,それは幼児体験とか,ひとり の人間が生まれて育ってその年に至るまでの体験が全部おそらくその瞬間 に凝縮するんでしょうけれども,沖縄へいこうが,長崎へいこうが,東南 アジアをめぐろうが,ある特定な対象に必ず目がとまるんですよね」. 富岡多恵子との対談(富岡多恵子『写真の時代』毎日新聞社)で,「目つ きですね,目線ですね」という言葉に答えて東松照明はそう語っている が,この廃墟へ向かう視線こそが東松照明の「写真のスタイル」と言えな いだろうか. 廃虚には3つの時間が流れている. それはかつてあったという過去と,それはこのようにあるという現在と, それはそのようになるという未来と. 同じように廃墟写真は時間を3つ持つ. 変質や変色や亀裂や腐食を生じさせる以前の均質な組織を保っていた時間 と,写 真に写された時点の時間と,その廃墟から立ちのぼる光や煙や空気 にうながされ,写 真空間に穿たれた穴へと抜けてゆく果てしなく遠い時間 である. 廃墟では,時間が通 常のように1方向へ直線的に進むのではなく,3つの時 間の線が並存し,ときには停止したり後戻りしたりして微妙に交差し入り 乱れあう.廃墟の特性とは,日常では見られない3つの時間が束ねられる 視点に自己を置きうるということであり,一瞬の廃墟を自由に正確に身体 化することで,とらえがたい時間のや堆積や空間の奥行きを自分のなかに モンタージュすることができるということなのだ.ものの創造と崩壊の過 程を,正気と狂気の両方を,生と死のはざまを,廃墟は具現化することが できる. 東松照明のこうした持続する廃墟への写真スタイルを,都市空間の加速度 的な機械化,合理化,近代化への反抗だとか言ってしまうのはたやすい. けれども,そうした観点から洩れてしまうことを,今,大切にしたいと思 う.それは原爆の写 真を見ても,沖縄の写真を見ても,表層イメージの量の洪水を流れる1コマとしか見なせず何も感応することができない「歴 史」とか「時間」の感覚を欠落させた「われわれ」が存在しているからで あり,人間的感動がそっくりそのなかに沈澱させられている「残像の残 像」のリレーを完全に停止させられたそうした「われわれ」との関係をふ まえなければ,空間的な知覚の単位 としての写真はとらえられても,時間 的要素としての写真が呼び起こすリアリティは無効になってしまうと思え るからなのだ. 時間がスライス状に輪切りにされていてわれわれは現在しか見えず,その 澱をつきやぶることができない.現在というものが,ある全体のなかに組 みこまれた,他の時間とは異なった時間であるということがしだいにわか らなくなってしまう.現在が,他のすべての時間から切り離され,ホワイ ト・スペースのなかをのっぺらぼうに漂い始める.そして過去の経験や出 来事に対応する何ものかが現在においてなくなってしまえば,本当に戦争 や惨劇といったものが,かつてあったのかということさえあやふやになっ てしまう.過去さえ,今や現在が組み直すある時間構造にパッキングさ れ,再編成されようとする時代のなかにわれわれはいるのである.その 時,自分の過去をはじけさせるものはいったい何だろうか,そんなことを 強く考えるようになっている. 東松照明が写真の中で絶えず問いかけてきたのは,おそらく,そうしたこ とであり,その時間の意識は以後も次世代の多くの写 真家によって引き継 がれたといえる.それは現在もなお進行形のはずであるが,ここ数年の日 本の時代状況を思うにつけ,こうした問いかけをなしくずしにしてしまう ような,見えない大きなメカニズムがわれわれをおおっていると考えざる をえない. 「廃墟のヴィジョン」を見つめる東松照明の眼差しは,その廃墟がナガサ キやオキナワやミサワやヨコスカのものであるという日本戦後史上の属性 を離れ,独立して時間の幅を物質の変化に託し,強い歴史意識の持続によ って支えられた記憶と冒険のあいだの瞬間の強度として写真に封じこめて しまう.それは伝統的な写 真ジャーナリズムの拒絶ということではなく, より深遠な,より困難な,より強靭な形で「写 真報道」や「写真記録」と いうことを東松照明が引き受けてしまったということに他ならない. 不思議なことではあるが,ある特別な映像の質を生みだせるかどうかとい うことは,その写 真を撮る者自身の体験や行動の性格に大きく左右されて しまう.同じ被写体や対象でありながら,誰を撮っても同じ写 真にならな いのはそのためであるが,写真を撮る者が,その時空において自らの身体 感覚をどのように作動させたのか,流れさせたのか,ということは,すぐ さまその写 真にあらわれでてしまうものなのだ.身体感覚が形になってあ らわれでる.そのことは,ある意味で,その空間をどのように生きたかが 写真には浮かびあがってしまうといっていい. そこで撮る者自体のあり様が問われる.時代のなかにどのように自分の生 身をさらしたのかが検証されてしまう.日本の写真が東松照明で変わった とするなら,おそらく写 真家がそのことを強く意識し,時代と自己の実践 を自覚的に対置させていったということゆえだろう. 「時代」という言葉を使ったが,言うまでもなく,この時代とは単なる大 事件や劇的光景といった意味では決してない.それはある時間と空間の層 を生きる人々を共通におおってしまう見えない磁場のようなものであり, それはまさしく人々の日常の内奥において絶えまなく消しがたく浮かびあ がってくる気配のようなものなのだ.自分の手足を,眼や耳をとらえ続け ている底の澱なのだ.そこを見すえ,その空気と立ち向かうことで,写 真 を撮る者は,初めて時代とクロスすることができる.そのためには,絶え ず体を張り,危険を境界で受けとめようとする努力が必要である.寸前の 危うさのなかで事物を動かしているものや事物の陰を見とろうとする心の 眼の傾きが必要なのである. 東松照明がおこなってきたことは,写真家としての主体とか客体といった 境界を措定させるのではなく,そうしたものを失効させてゆくある位相を 見つけだし,そこに身を置いて世界をさわろうとすることであり,世界の 息づかいや色あいにふれようとすることであったように思う.(伊藤俊治)

■参考図書 東松照明『廃園』パルコ出版,1987.

 

 

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