森山大道 Moriyama Daido 
The 20th Century Matrix より

 

■森山大道■

1枚の写真が全体の記憶からかすむようにたちのぼってくる.『にっぽん 劇場写真帖』『かげろう』『狩人』『写真よ,さようなら』『もうひとつ の国』『遠野物語』『続にっぽん劇場写 真帖』『光と影』,そして『仲治 への旅』と,森山大道の60−70年代の写真の軌跡をたどってゆくと,夢の ような,ぼやけたイメージが浮かびあがってくる.画面全体が陽にさらさ れ,白い粉をふいたようになった,日なたに置き忘れられた写 真,水のな かにいるように,なめらかで,のびのびとしたどこか殺風景な場所のたた ずまい,地も空も一様に光のなかに溶けこみ,その境界は定かではない. 風景が化石のように静まりかえり,ただ光のしるしだけが遠い昔のある時 間のありかを明滅させている.いったいいつの日に見たものなのか,夢の なかで見たものなのか,晴れているのか,曇っているのか,そのいっさい が判然としない.ただ光のある景色であり,人はいつのまにかその不思議 な時空のなかへまぎれこんでいる.その軌跡をあらためてたどりながら, 何度か,心のなかに古めかしい王国のようなものが湧きあがってくるのを 感じた瞬間があった.「記憶の市(まち)」とでもいおうか,自分の精神 の基層を支配する「心の針」が指し示しているどこにもない場所,自分自 身のためにこしらえられている特別 な空間,かげろうの街だ.例えばそれ は異郷から初めて都市へやってきた者がその光景に触れて心に強く焼きつ けられイメージに似ているといえないだろうか.そこへやってくるずうっ と以前から抱いていた憧れや夢が現実の光景へ収斂 してゆく時,そのイメ ージには様々な身体の震えや驚きや喜びが刻みこまれていくだろう.その 時,その都市に何を見,何を感じたのか.その時,その現象に,自分がど のような視覚の波動を起こしたのか.その一瞬の街にどのようにそそのか されたのか,おびやかされたのか,欲望をあおられたのか,そうしたもの がイメージに浸潤する.そしてその初めての体験は,意識下の点や斑とし て受肉され,時あるごとに原型的な身ぶりとなって個を通じてたちあらわ れてくる.それはわれわれがコントロールできない,意識からはかけはな れて噴出する束の間の現実の経験である.この経験はしかし,都市の物の 世界のなかではおおいかくされている.都市の身体はそうした感覚のもつ れや記憶のどよめきを否定するからである.都市の身体はたえず感覚に訴 える印象の流れを切りとり,世界を個々の実体に区分けし,その世界を関 連性のあるひとつの全体に統一しようとする.身体が位置,代償,方向, 密度といった判断の基準を決定し,何度も比較を重ねながら,この基準が 決定する空間に,物象の世界がつくりあげられる.物の世界がかたちづく られるのである.そして身体は自己を中心に置き,自己は他のいっさいを 観察し,測定し,理解する主体となる.しかし,もともと見るということ はそうした定位 された世界のなかにはおさまりきれないはずである.例え ば色々な波長の光が網膜に届くと,そこでは光は信号に変えられ,視神経 を経由し,脳へと伝えられるが,この情報はかなりぼんやりしており,輪 郭,縁,位 置などを伝えているにすぎないという.われわれがそれをもの の世界として認知できるのは,外界の物体についてある特定のイメージの モデルを持っているためであり,これらのモデルは生まれつきのものでは なく,身体の経験を通 じてかたちづくられてゆくものなのである. 多くの心理学者の研究によれば,生まれたばかりの赤ん坊にとっては外界 はただ騒々しい,混乱の世界でしかないという.経験がないため,感覚を 意味ある知覚に組み立てることができないのだ.こうした状態は,「純粋 知覚」の状態とも呼ばれる.そしていままで盲人だった人や生まれたての 赤ん坊が1度,外界を見るようになると,それ以降は,この純粋知覚は経 験されず,そのかわり視覚経験のつみかさねによるモデルを保有すること になる.つまり世界を物として見てゆくようになる.物としてみることは 高度に発達した知覚方式である.だから未開人や幼児は主体と客体の間に 特に明確な区別 を置かない.主体と客体,知覚と感情,思考と行為,夢と 現実などはたえず混濁する.彼らは世界を整然とした物に分化するのでは なく,むしろその動きを動的な関係へむすびつけることにより環境へ同化 しようとする.これまでこうした知覚方式は都市においてはマイナスも の,ネガティヴなものとみなされ,人々は物として見ることを訓練づけら れてきた.しかし,こうした物として見る知覚方式は,都市の変容ととも に大きな転換をせまられているといえるだろう.物として見ることは,日 常生活のなかで世界を秩序づけるには便利だが,現在のように空間的にも 時間的にもスケールやパースがどんどん広がってゆくと,それはまったく 用をなさなくなる.巨大なもの,微細なもの,速度,運動などもとらえら れなくなる.逆にいえばわれわれのそれまでも身体では把握できないもの がわれわれの世界の根本を形づくり始めているのだ.そして自己や世界を 固定した硬いものとしてとらえるのではなく,振動する流動的な場として とらえる視点が反対に浮かびあがってくる.(伊藤俊治)

■参考図書 森山大道『続にっぽん劇場写真帖』朝日ソノラマ(ソノラマ写 真選書 6),1978.

 


 

★『光と影』

1982年,冬樹社から出版 された森山大道の写真 集.森山が81年10月5日 発行の『写真装置』第3 号「自己愛的写真術」中 で「僕は現在“光と影” にしきりにこだわってい ます.写真は云うまでも なく光と影で成立してい ることは自明な理です. (……)ひょっとしたら そこに何かが在るような 気がしてならないので す」と語っている.この ことは,プロヴォーグ以 後も写真的認識眼を実践 してきた森山にとって, 「光と影」がリアルなテ ーマであったことが伺え る.実際,この作品集 『光と影』では,森山が 写真のプリミティヴな問 題である「光と影」の意 味を手繰り,また従来の 意味の呪縛から解き放と うとする模索的・実験的 な態度が色濃く表われて いる.(和田京子) 『仲治への旅』 『仲治への旅』は,37歳 で夭折した戦前の関西写 真のリーダー的存在であ った安井仲治の写真世界 へ,カメラを借りて迷い こもうとする森山大道の 1980年代の足跡をまとめ たものである.森山と同 じく大阪に生まれた安井 は大戦前の閉塞的な時代 状況のなかで,「現代写真」と呼ばれるものへダ イレクトにつながってゆ くあらゆる実験的な手法 を試み,野島康三や中山 岩太といった近代写真の パイオニアの仕事を受け 継ぎながら,さらなる写 真の直接性をめざした写真家である.そうした安 井のストレートな写真に 刺激されてか,森山の写 真はここではかつてなく 明確であり,物象や風景 を再び人間の眼でとらえ かえそうとするかのよう な傾きを抱えている. うつろな予感と胸苦しい 感じが画面に満ち,疲労 と苦痛がたたみこまれて いた70年代初頭の写真か ら,ずうっと昔に映って いた様々な記憶がイメー ジの列になってよみがえ ってくるような80年代初 頭の写真へ.そこでは夢 の状態と醒めた状態とが 間断なく交替し,画面 は 完全に異なった2つの意 識のあわいを生きてい る.そしてそこから醒め きった時,森山の現在性 は現在をすりぬけ違う世 界へと投げつけられる. 『仲治への旅』の写真は いわば,記憶の帳の背後 の世界である.よく見る とそれは,大気の感覚や 人の気配を抹消し,時代 の揺動や感情を極力排し た死のトポスを写したも のなのだ.それは廃墟の 澄みきった,冷たい水た まりの上にうつる光景の ようだ.そして,それは 記憶の裏側に潜むひんや りとした死の世界である とともに,森山が生まれ たときにすでに死んでし まったもうひとりの自分 (彼は双子であったとい う)が見ているイメージ の突出なのかもしれな い.あるいは彼の一方の 眼は,これまでいつもそ のすでに消え失せている もうひとりの自分の世界 を見続けていたのかもし れない.病者や赤子のよ うな森山の視覚は,そこ からきているのではない だろうか.というのも病 者や赤子は人間のなかで 最も死に近い存在だから である.森山のこれまで の軌跡をたどってゆく と,不思議なことだが, どうしてもそうした思い が湧きあがってきてしま う.そしてそこに,60年 代から70年代にかけての 「現実と意識(自己)」 という彼の写真の問題 が,70年代から80年代に かけては,「過去と無意 識(死)」という問題に すりかわってゆくさまを 見ることもできるだろ う. 「1枚の写真を入り口に してその時代のなかへ分 け入ってゆく.その1枚 の写真が撮られた日に, いったい誰に何があった のか.誰がどう笑って, なぜ笑ったのか.そんな 遠い1日を心のなかでつ ぶさに経験してゆく.歴 史にうもれた,ある晴れ た日の光のなかを巡り見 ることができる.1枚の 写 真を仲立ちに,ある個 の記憶と歴史の記憶とが 交差するのだ.それぞれ の光が別 の記憶の文脈を 持ちながら,個のなかで 複雑に交叉し,反映しあ って,新たな光の記憶と して再生され,さらにそ れがまた次なる光と記憶 の覚醒を求めてさまよ う.それらのすべての光 と記憶の循環を収斂する 唯一の点は“歴史”であ る.写真は光の記憶であ り,そして写 真は記憶の 歴史である」. 森山は『犬の記憶』でそ う書いたことがあるが, われわれは今,ようやく 『にっぽん劇場写真帖』 から『仲治への旅』のな かに,その光の記憶のサ イクルを垣間見ることが できるような気がする. そして写真が本質的に 「光の記憶」にすぎない ことを,あのぼやけた1 枚の写真とともに自己の なかへゆっくりと沈澱さ せてゆくことができる. (伊藤俊治)

■参考図書 森山大道『光と影』冬樹 社,1982.

 


 

★『犬の記憶』

森山大道の写真は「犬の 眼」の世界なのである. 例えばそれは,犬が書い たというで形式で始まる フランツ・カフカの『あ る犬の回想』に出てくる やせこけた犬を想い起こ させるかもしれない.あ るいはまたダイアン・ア ーバスが初めてカメラを 手にした時,長時間にわ たって夢中で撮り続けた 夏のたそがれ時のブドウ 園を駆ける,大きなバイ マー犬を彷彿とさせるか もしれない.『狩人』に おさめられた薄汚れた三 沢の野良犬のように,あ るいはまた『仲治への 旅』のなかの檻に閉じこ められた孤独な犬のよう に,犬はじっとこちらを 見すえている.神秘的な 淋しい眼差しをたえずち らつかせている.吠える こともせず,手をなめる ために近寄ってもこず, ただ黙って見つめるだけ の,声にしたくても,声 にできない,経験と記憶 のもどかしい関係にまつ わる不思議な訴求の輝き を犬の眼はたたえる.鋭 く,あてどない犬の眼は じっと人間のほうを見つ め,人の心に微妙な胸さ わぎを起こさせる. それでは「犬の眼」の世 界とは,どういうものな のだろうか.それは色彩をそがれた,灰色に満ち た世界だ.視覚は明暗だ けに反応し,人間が見る ように色感と色質の組み 合わさった複雑な様態と しては決してみない. 犬は言葉を手がかりに物 を見るのではない.また 物と物に違った光を与え ることもない.物に名を 与えることはなく,物の 輪郭を明瞭にすることも なく,物と物の境界は不 安定で,物は危ういポー ションのまま中空へ浮か んでいる.それは一種異 様な戦慄的光景である. それはとうの昔にわれわ れが忘れてしまった感覚 的な形態の原型なのであ る. 森山は1980年代前半に出 された『光と影』や『犬 の記憶』で,その犬の世 界を「可視的な嗅覚」や 「可視的な触覚」によっ て鮮明に再現しようとし た.物の形状,質感,色 彩,美醜,好悪を,直観 的に犬の視覚へ還元して しまう.地を這いずりま わり,物から放射された 無数の霊的な線の錯綜を 感知しようとする. 「街のそこここに,かつ て,ぼくが,毎日毎日, まるで犬が道筋でオシッ コをひっかけてまわるよ うに写 真を撮っていた路 上が,まるでついさっき 撮ったばかりの感触で目 の前にある」(『地 図』). 人間のつくりだした意味 論的な世界像からなるべ く遠く離れ,「犬の眼」 へもぐりこむと,世界は 有意味でも無意味でもな く,ただ事実としてそこ にあるだけである.「犬 の眼」にはわれわれがす くい落としてしまった事 物からのある本質的なメ ッセージが反映されてい るのかもしれないが,そ のことさえ今はどうでも いい.重要なのは,森山 が「犬の眼」を借り,純 粋知覚へ再び歩み寄ろう としたということだけな のだ. 犬の世界には言葉はな く,物の境界ははっきり せず,時空の枠組みはと らえがたく,犬は「世界 のなかの存在」として, なまぬるい混沌のただな かへひきずりこまれ,自 他の区別さえ定かではな い.そこには疎外や孤絶 は存在しないかわりに, 認識や知性も存在しな い.森山はそうした灰色 の無境界的連続に,ひと つの自分の拠るべき世界 を求めようとした.しか し,なぜ森山がそうした 嗅覚的な,触覚的な動線 を写真のなかへ導き入れ ようとしたのかを知るた めには60年代末から70年 代初頭にかけての彼の個 人的な状況のなかに,さ らには彼の幼年期の原体 験のなかへ,たちもどら なければならないだろ う. 『にっぽん劇場写真帖』 『狩人』『写真よ,さよ うなら』などを発表して いた頃のことを森山は 『犬の記憶』のなかでこ う回想している. 「東京の夜は,あざむく ように灯火が氾濫し,商 品とアルコールの海のな かで,人々はどっぷりと まみれ酔いしれていた. 町々には反戦歌が流れ, しかしその裏ではデスパ レートな歌が聞こえてい た.青江美奈が“逃げて しまったしあわせは” と.黛ジュンが“おしえ てほしいの涙のわけを” と.高倉健が“親の意見 を承知ですねて”と.そ れぞれの夜をくりかえし 歌いつづけて不思議なコ ントラストを持った時代 だった.僕は連日夜の町 に向けてシャッターを切 りつづけ,女と酒を飲み つづけていた.しかし, そうした時代に生きるこ とから,完全に背を向け とおすことなどできなか った.自分にのみ向けて 撮る行為と,時代に向か って投げる意志との二律 性のあいだで,たんにう しろめたさだけではない ジレンマを感じていた. そんな時代を,写真もふ くめて相対的にとらえよ うとしながらも,結局自 分自身に本質的な問いか けを繰り返さざるをえな かった.日々,昂揚と落 胆のめまぐるしい繰り返 し,煩瑣な生活と,わけ のわからない恐怖感と, どうしようもない不眠症 とで,不安な憂鬱な日常 だった」. 80年代の初頭に発表され た森山の写真を,「犬の 眼」による全体的世界像 の回復のイメージとして とらえうるなら,この時 代の森山の写真はいわば 感情や感覚の傷痕のグラ フィックな組織化とでも いえるだろうか.写真の 粒子やトーンは,傷の, 爛れの,膿の跡だった. 何か途方もなく大きな暴 力が,繊細で脆い感覚の 上を強く,鋭く,擦過し ていったことのしるしで あった.そしてそれはそ のまま日本という時空に なすりつけられた傷とも なる. 60年代末から70年代初め にかけての騒然とした時 代のなかで森山の感覚に は絶えずこまやかな,あ るいは深い傷がつけられ ていった.しかしそれは 時代の混乱や緊張のなか へ,感覚をむきだしにし てゆくことによってつけ られた傷とは異なるよう に思う.逆にそれは感覚 を内へ突出させることに よって生じた,膜のかか った,自分でも把握でき ない,もどかしい傷のよ うなものなのだ.自己を 常に意識する,現象へ解 消できない個を幾重もの 透明なスクリーンでおお いこんでしまうような, 幻の痛みをともなった, にぶくこもった対応によ る産物だったのだ.そし ておそらくそうした姿勢 やアプローチにこそ,森 山大道という存在がこの 時代の精神の代弁者にな りえた要因があるように 思う. 極度の興奮と疲労のなか で様々なものがなだれこ んでくるのをくいとめる ことができない.現実へ 向かってカメラをさしだ すというより,カメラは そのなだれこんでくるも のを,なるべく自分に傷 がつかないようにするた めの道具であった.だま っていると現実の擦過が 自分をズタズタにしてし まいそうだった.だから 横なぐりに襲ってくる現 実をくいとめる手段が必 要だったのである.この 点において森山の写真行 為は東松照明や藤原新也 の一面 に見られる「武器 としての写真」とは決定 的に異なっているといえ るだろう. そしてそれは実は60年代 末から70年代初めにかけ て培われたものというよ り,幼年期の森山のなか ですでに確かな資質とし て養われていた,ある意 識の方向であったのだ. 『犬の記憶』のなかで彼 は自分の原像として戦後 まもなくの晩秋,一家5 人でたちつくしていた大 阪駅の光景を思い起こし ている. 駅裏の廃墟のただなかで 無数の人々の群れに混じ って,薄暮れの空へ向 け,暗くたよりない影を うつしている,都市へた どりついたばかりの家 族.森山は寒さに震え, 空腹で,極度に何かを恐 れ,びくびくと不安がお さえきれず,父親が列を 離れるたびに必死にその 姿を追っていた.その赤 裸々な心の様態は,それ から何十年たったあとも なお,彼のある特別 な身 体空間の磁場をつくりだ していたように思う.仄 暗く,寒い風景のなかで おびえきっていた,女の 子のように弱々しく,脆 い子供の眼は向こうの世 界から飛びこんでくるも のを,生理的に,動物的 に,瞬間的に,かすめと る.「感覚」や「肉体」 や「意識」といった境界 を横切ってゆくような人 間の感情のある昂まりを 転写させる森山の写真の 営為の芽が生まれたのは おそらく,その時からだ ったのだろう.そして森 山のなかに芽生えたこの 姿勢は,60年代末から70 年代初めにかけての時代 のなかで実際の写真のグ ラフィズムとむすびつ き,まさに時代と人間の 隙間を埋めるひとつの表 現群となった.しかしそ の混乱の時代が過ぎ去っ てしまうと,あとには彼 の傷だらけの精神だけが 残ってしまう.大きな暴 力が過ぎ去ったあと,森 山はぬ けがらのようにな ってしまったのだ.そし て新しい時代の波動のな かでかつてあった時代 も,都市も,急速に拡散 していった. そうした感情を森山はア ジェの写真の行為を借り て,こう語っている. 「アッジェが第1次世界 大戦で,拠りどころであ った旧い巴里の街を失っ てからというもの,写真 から離れてしまったとい う話は,仮説だとしても 面 白い.もしかしたらア ッジェは大戦による都市 の風化を目のあたりに目 撃して自己の風化を願っ たのではないか.賭ける べき時代が崩壊し,あり うべき全体を見失ったと き,人は誰しも,何かか ら確実に下りてゆく.そ してウジェーヌ・アッジ ェは暗箱を手からはなし た瞬間,はじめて自身の “失われた時”を求めて 旅立っていったのではな いだろうか.僕の記憶へ の旅は,ありうべき全体 像の風化と崩壊を前提と したところから始まって いると思っている」. 『写 真よさようなら』か ら10年あまりのちに『光 と影』や『犬の記憶』を 出版するのは,いわばそ の森山のありうべき全体 を探す旅のひとつのまと めとしてある.例えば 『犬の記憶』では彼は生 地である池田から始ま り,神戸,大阪,そして 東京へ,という空間的な 移動を続け,そのなかで ただ過去と記憶のことだ けに執着し続ける.現存 の風景を歩きまわりなが ら壊死した記憶の再生を 試み,「たんなる感傷を べつにして,もう1度見 直して歩きなおしてみた い時間と空間」を森山は 探し求めるのだ.カメラ のなかで自分の記憶の世 界をのぞきこみ,確か め,目の前の風景と遠い 記憶のなかの風景とが重 なりあい,そのまま時空 がぼやけてゆくのを感じ る.そして森山はそうし た写真的行為から記憶に 関するひとつの結論をひ きだすことになる. 「記憶とは過去をくりか えし再生するだけのもの ではなくて,かぎりなく 打ち続く現在,という分 水嶺を境界線として,記 憶が過去を想像し,様々 な媒体を通過することで 再構成されて,さらにそ れが来るべき未来のうち にも投影されてゆくとい う,かぎりなきリサイク ルのことではないだろう か.と,僕は自分自身の 記憶を通してシャッター を押している現在そう思 っているのだ」. 『光と影』,そして『犬 の記憶』で,森山は誰か の記憶のいちばん奥の帳 につきあたろうとした. そして白い粉をふいたよ うな,あてどない,ぼや けたイメージを手に入れ る.それを,「ありうべ き全体像の風化と崩壊」 を確認した自分が「43年 の時間をかけて内部にさ さやかに映し見ることの できたユートピア」なの だといいきる彼の言葉に は,「悪い時代」(中平 卓馬)を生きのびてきた 者の地を這うような視線 の澱みがこめられてい る.(伊藤俊治)

■参考図書 森山大道『犬の記憶』冬 樹社,1984.

 


 

★ブレボケ

1968年11月に創刊された季 刊『プロヴォーク 思想の ための挑発的資料』に参加 した同人,岡田隆彦,高梨 豊,多木浩二,中平卓馬, 森山大道(第2号より)等の 作品の特徴を示す言葉.荒 っぽく,ざらつく感触のイ メージに,やや乱暴な印象 を得る.「アレブレ」とも 呼ばれることもある.安保 闘争,全共闘と社会への疑 問や反感に揺れた時代を背 景に,「ブレボケ」は既存 の写真表現を壊していくラ ディカルな方法論であり, 日本の戦後写真のひとつの 転換点ともなった.当時, 対極の手法としてネイサ ン・ライアンズ(米)企画 の「コンテンポラリー・フ ォトグラファーズ」展(66 −69)に機を発するスタテ ィックな「コンポラ」写 真 がある.(和田京子)

 


 

★『仲治への旅』

『仲治への旅』は,37歳で夭折した戦前の関西写真のリーダー的存在であ った安井仲治の写真世界へ,カメラを借りて迷いこもうとする森山大道の 1980年代の足跡をまとめたものである.森山と同じく大阪に生まれた安井 は大戦前の閉塞的な時代状況のなかで,「現代写真」と呼ばれるものへダ イレクトにつながってゆくあらゆる実験的な手法を試み,野島康三や中山 岩太といった近代写真のパイオニアの仕事を受け継ぎながら,さらなる写真の直接性をめざした写 真家である.そうした安井のストレートな写真に 刺激されてか,森山の写真はここではかつてなく明確であり,物象や風景 を再び人間の眼でとらえかえそうとするかのような傾きを抱えている. うつろな予感と胸苦しい感じが画面 に満ち,疲労と苦痛がたたみこまれて いた70年代初頭の写真から,ずうっと昔に映っていた様々な記憶がイメー ジの列になってよみがえってくるような80年代初頭の写真へ.そこでは夢 の状態と醒めた状態とが間断なく交替し,画面 は完全に異なった2つの意 識のあわいを生きている.そしてそこから醒めきった時,森山の現在性は 現在をすりぬけ違う世界へと投げつけられる.『仲治への旅』の写真はい わば,記憶の帳の背後の世界である.よく見るとそれは,大気の感覚や人 の気配を抹消し,時代の揺動や感情を極力排した死のトポスを写したもの なのだ.それは廃墟の澄みきった,冷たい水たまりの上にうつる光景のよ うだ.そして,それは記憶の裏側に潜むひんやりとした死の世界であると ともに,森山が生まれたときにすでに死んでしまったもうひとりの自分 (彼は双子であったという)が見ているイメージの突出なのかもしれな い.あるいは彼の一方の眼は,これまでいつもそのすでに消え失せている もうひとりの自分の世界を見続けていたのかもしれない.病者や赤子のよ うな森山の視覚は,そこからきているのではないだろうか.というのも病 者や赤子は人間のなかで最も死に近い存在だからである.森山のこれまで の軌跡をたどってゆくと,不思議なことだが,どうしてもそうした思いが 湧きあがってきてしまう.そしてそこに,60年代から70年代にかけての 「現実と意識(自己)」という彼の写 真の問題が,70年代から80年代にか けては,「過去と無意識(死)」という問題にすりかわってゆくさまを見 ることもできるだろう. 「1枚の写真を入り口にしてその時代のなかへ分け入ってゆく.その1枚の 写真が撮られた日に,いったい誰に何があったのか.誰がどう笑って,な ぜ笑ったのか.そんな遠い1日を心のなかでつぶさに経験してゆく.歴史 にうもれた,ある晴れた日の光のなかを巡り見ることができる.1枚の写真を仲立ちに,ある個の記憶と歴史の記憶とが交差するのだ.それぞれの 光が別の記憶の文脈を持ちながら,個のなかで複雑に交叉し,反映しあっ て,新たな光の記憶として再生され,さらにそれがまた次なる光と記憶の 覚醒を求めてさまよう.それらのすべての光と記憶の循環を収斂する唯一 の点は“歴史”である.写 真は光の記憶であり,そして写真は記憶の歴史 である」. 森山は『犬の記憶』でそう書いたことがあるが,われわれは今,ようやく 『にっぽん劇場写真帖』から『仲治への旅』のなかに,その光の記憶のサ イクルを垣間見ることができるような気がする.そして写 真が本質的に 「光の記憶」にすぎないことを,あのぼやけた1枚の写真とともに自己の なかへゆっくりと沈澱させてゆくことができる.(伊藤俊治)

■参考図書 森山大道『光と影』冬樹社,1982.

 

 

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